日本は現在、主要穀物の6割以上を輸入に依存する「食料安全保障後進国」となっている。特に米の価格が前年比で2倍以上となった2025年初夏には、政府備蓄の放出によってようやく一時的に鎮静化したが、構造的には何も解決されていない。食料インフレが続き、さらにその主因が「円安」や「金利政策の遅れ」にある以上、この問題は食料ではなく制度の問題である。暴動の最も原始的原因が「飢え」であることを思い出さねばならない。
食料が暴動の引き金になるのは自明。暴動が起これば円が売られ、輸入立国である日本は立ちゆかなくなる。これは因果律であり、感情論ではない。
日銀が2025年になってようやくマイナス金利を解除し、政策金利を0.5%に上げたが、それでもインフレ率(3〜4%)に比して実質金利は大きくマイナスのままである。中立金利は理論的にインフレ率と等しい水準に置くべきであり、実態に即せば金利は3%以上でなければならない。だが国債市場や財政への配慮から、日銀はその水準に到達する意志を持てない。制度は時間と共に自壊する。
インフレ率3〜4%の中で金利が1%なら、それは国民から富を奪っているのと同じだ。上げられないのではなく、上げる覚悟が無い。
賃金は30年間実質的に横ばいのままであり、2025年にはついにインフレによって「働けば生活が苦しくなる国家」が現実化した。ベアや最低賃金の引き上げが報じられる中、非正規労働層や中小企業では実質賃金の下落が常態化し、若年層の希望は霧散しつつある。制度が生活水準を守るという基本的信頼が失われたとき、人々は国家の統治そのものを問い始めるだろう。
賃金は国家の人格である。それが30年横ばいなら、この国には30年間人格が無かったということになる。
「通貨発行権があるから財政は問題ない」というMMT的思想は、短期的な社会安定と長期的な制度崩壊の交換である。発行する貨幣に未来への責任と倫理的照応がなければ、それは単なる“支配されないインフレ”を誘導する。貨幣は構造なき者に与えれば破壊兵器になる。日本はすでにその臨界点にいる。
MMTとは、信用を前借りすることで安心を買う思想だ。そしてその信用は制度の裏打ちを伴わなければ、やがて暴力として跳ね返る。
円は低金利を維持し続けたことで、世界の“借金通貨”として機能してきた。これはグローバル資本にとっての利得装置であり、同時に日本が通貨主権を市場に譲渡してきた証でもある。2025年、金利が上がり始めたことでキャリートレードの巻き戻しが始まっている。だが日銀は急激な金利正常化ができず、その間に世界中の投資家は「日本の制度の遅れ」を材料にして円債を売り浴びせている。主権の喪失とはこういう状態を指す。
円が売られるのではない。国家の遅さが売られているのだ。投資家は国家の無策を喜び、制度の遅延を利益に変えている。
倫理なき経済政策、道徳なき制度維持、知性なき金融操作。こうした構造的無責任が臨界点を迎えつつある今、必要なのは貨幣・賃金・統治のすべてに「三心(倫理・道徳・知性)」を再接続することだ。制度とは未来への倫理、自己責任の構造、言語による整合の中にしか存在しない。日本が再び国家として存続するには、貨幣の再人格化──制度そのものの人格化が不可欠である。
通貨とは倫理である。制度とは道徳である。政治とは知性である。これは理想ではなく、国家を国家たらしめる最低条件である。