学校教育は、今のままでいいのか?
──評価されない力と、変わらない制度のあいだで
※ 世の中はピラミッド構造を描いており、その中でも循環構造があります。この観点を明記しておきます。
私たちは、当たり前のように学校に通い、当たり前のようにテストを受け進学してきました。
しかしその中で、「人として大事なもの」は、どれだけ育っていたのでしょうか。
点数や偏差値で測られるのは、知識や暗記力が学校教育では中心となっています。
一方で、実際に社会に出て役立つのは、
信頼される力、正しく判断する力、人と協力する力 といった「評価されない力」です。
それらが学校の成績に現れることは、ほとんどありません。
(内申点には反映されているかもしれませんが知りえません)
小中学校では、できるだけ幅広い教科に触れさせるべきです。
なぜなら、人は自分の得意や向き不向きに気づくまでに時間がかかるものです。
様々な知識、実験に触れ、色々な体験をすることで、
自分に合った学びや将来の方向性が少しずつ見えてくる。
この段階では、「選択」よりも「触れる」ことのほうが大切だと考えられます。
高校になると、そろそろ進む道を分けていくタイミングに入ります。
にもかかわらず、現在の高校教育は、中学校時代と大きく変わらない構成になっている。
そこには本当に意味があるのでしょうか。
私は、教育を次のように変えていくべきだと考えています:
高校、大学、大学院の数を今より相当数減らす
専門性に特化した学校を増やす(専門学校)
大学進学は「学問に進みたい人」を主とする
国籍や公私立に応じて無償化の線引きを設ける
「みんなが同じように進学する」時代は、終わっていいと思います。
そして 100%進学する、という方針も撤回して良いと思います。
表面上の数字だけでは意味が無いと考えるからです。
現在の制度として高校教育までの無償化ですが、大学院までの無償化でも良いと考えます。
(代わりに大学・大学院の数は減る方向)
公私による学費の差がありますが、
公立学校の地域平均までを私立での無償化の範囲とするのが妥当な所ではないでしょうか。
今の学校では、テストに強い人が評価され、そうでない人は低く見られがちです。
しかし、社会で必要とされるのは、むしろ以下のような能力です:
※(研究職や専門職を除くものです。そこで専門化が必要との判断に至りました。)
人に信頼される態度
状況に応じて判断できる力
複数人で協力して問題を解決する構想力
誠実さ、継続力、そして倫理的な視点
こうした力は「人格的、道徳的、倫理的、知性的」なものと言えますが、学校の成績では可視化される所はありません。
そこでそれらを可視化するには、どのようにすれば良いのかと考えました。
社会に出れば、チームで動き、役割分担をし、プロジェクトを進める必要があります。
そうした現実に備えるためには、学校も「実際の社会構造」に近づけるべきです。
たとえば、高校教育の段階から以下のような取り組みを導入できます:
ランダムにチームを組んで課題に取り組む
リーダー、発表者、調整役などの役割分担
チーム内で提案や議論を行い、意見をすり合わせる
課題への解決策を発表し、他のチームと競う形とする
こうした「企業型教育」を導入することで、初めて教育は“知識”ではなく“人”を育てる方向に進むと考えています。
ここでの評価は 担当教師25点、副担任教師15点、生徒達40点、有識者20点 などのように配点を行える形式が良いかと考えます。これは偏りを防ぎつつも、再度自分たちで考えさせる為でもあります。
(ここでの点数配分は大して考えていません。例です)
※ 有識者を入れることで新しい発見や大発見もありえるのでは? その想定です。
学校は、すでに知っていることを詰め込む場所ではなく、これから出会う問題にどう立ち向かうかを練習する場所であるべきです。
そして、学歴が示しているのは「これまでの制度への適応力」であって、人間としての評価ではない ことも、忘れてはいけません。
これからの教育には、「答えを知っている人」よりも、「問題を解決する為にはどうしたら良いか、仲間と協力し考えて進む人」を育てる仕組み が必要なのではないでしょうか。
チーム活動では、チームごとに異なる方向性や解決策が提示されるのが通常です。
そこには、意見の衝突や優劣の比較、時には対立も生まれるでしょう。
しかし、もしその 異なるチーム同士の成果や立場を比較・調整し、全体をひとつの構造としてまとめ上げる者(チーム) がいたなら、それは特別な価値を持ちます。
それは単なる勝敗ではなく、「矛盾する複数の論点を整理し、共有可能な構造として再提示する力」
この能力は、単なる協調力や交渉力を超えて、社会の制度設計や戦略設計、公共的意思形成において中心となる力です。
学校教育のなかでこのような統合力を発揮できる人がいれば、それは「答えを出す人」ではなく、「答えの枠組みを再構成する人」であり、評価されるべき資質の中でも、最も上位にあるべきかもしれません。
社会へ出る前の適性実験としても面白いものがあると考えます。 将来の方向性を見出す人も出てくるでしょう。
※ ここで述べたものを一律の評価とするのは間違いです。それは評価の1つとしては使えますが、これが常套手段となれば意味を成しません。
※ 外国ではグループディスカッションと似てはいますが、もう少し実践的です。
(後で知りましたが PBL という制度が近いようです)
回答は様々あろうが、それを評価するシステムは必須。
チーム全体での評価点だが、ここでは点数より協力して作り上げる事に意義・意味を見出したい。
財源や人的資本が必要だが、私が考える教育というのは最重要事項。
それぞれの進路と共に、後々は再教育制度を設ける必要があるだろう。
学校の選択を間違えたと気付いた後でも、やり直せるように何かしらの手を打つ必要がある。
専門学校→就職→やっぱり合わなかった という場合に困る。
専門学校卒業しているということは、他の職業を選びにくいということだから。
社会人になってからのやり直しも含めて。
少子化対策にも一役買うか・・・?