これは私が短歌という形式で、真理についての問いを追い、そして一つの節目を設けるまでの記録である。 短歌は詩であると同時に、思索の最小単位でもある。
本作は、 • 信念(1首) • 懐疑(2首) • 構造的統合(3首) • 相対的視座(4首) • 有限性の自覚(5首)
という5つの層で構成された、私なりの「真理へのアプローチ」である。
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宇宙とは 人智を越える 場所なれど
見えぬ世界も 真理違わず
訳:宇宙は人の知を超える場所だが、目に見えない世界にも、真理は確かに通っている。
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真理とは もしかするなら 異なるか
我ら測れぬ ものもあろうて
訳:真理とは、私たちが思うようなものとは違うのかもしれない。測れぬものもあるだろう。
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メビウスと リングを掛けた 言葉あり
それこそ真理 そのものたるか
訳:メビウスとリングのような、裏表のない構造を言葉にしたとき、そこに真理の姿が現れるかもしれない。
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形変え 表と裏とは 同じもの
どこから視るか それだけなのか
訳:物の表裏は、結局のところ同じ存在かもしれない。ただどこから見るか、それだけなのかもしれない。
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永遠の 真理おいたる 意味は無し
止める思いも 持たねばならぬ
訳:永遠に問い続けること自体には、実は意味がないのかもしれない。だからこそ、自ら“とめる”覚悟も必要だ。
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真理は、定まった一点にあるものではない。 構造の中にあり、矛盾の中にあり、そして見る者の中にある。
この五首を通して私が得たのは、「答えを得ること」ではなく、「どこで問いを置くか」という感覚だった。 短歌とは、私にとって“詠むための器”ではなく、“問いを折りたたむための形式”だ。
思考は続けられるが、節目を持つことで見えてくる形もある。 これが、私が今たどり着いた「知の輪郭」である。
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五部詩を詠み終えたあとに残った、詠者の内なる余波。 それは思索の副産物ではなく、沈黙の中から浮かび上がる「残響」である。
己が作 真理探求 したれども
空とも同じ 思考となるか
訳:自分なりに真理を追い求めたつもりだったが、それは仏教でいう「空」と同じような思考にたどり着いたのではないか。
空を問う 類似あろうか 真理とも
比較したるは 己が作とて
訳:空を問うような行為に、真理探求との類似があるだろうか。それを比較したのは、他ならぬ私自身である。
あながちと 言葉の意味を 鑑みる
さすればそれは おそらくという
訳:「あながち間違いではない」と、その言葉の意味を考えたとき、それはおそらく真理に通ずるものと感じた。
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特に最後の三首は、仏教的思想との重なりが色濃く現れたものとなった。 「空」という概念と、「真理を問う思考」の一致性に気づき、 自らの表現が宗教的・哲学的構造と自然と重なっていたことを認識する体験であった。
また、「あながち」という語の重層性(=否定しきれない肯定)もまた、 思索における柔らかな肯定の形として、重要な示唆をもたらした。
これは理屈ではなく、言葉が思考を先導する例のひとつでもある。 言葉によって考えが生まれ、短歌によって思索が深まる。 その回路の果てに、また新しい問いが生まれるのかもしれない。
※ この記録は、私の思索の軌跡として、ここに残しておきたい。