これは私が短歌という形式で、真理についての問いを追い、そして一つの節目を設けるまでの記録である。 短歌は詩であると同時に、思索の最小単位でもある。

本作は、 • 信念(1首) • 懐疑(2首) • 構造的統合(3首) • 相対的視座(4首) • 有限性の自覚(5首)

という5つの層で構成された、私なりの「真理へのアプローチ」である。

目次

  1. 一首目|信
  2. 二首目|懐疑
  3. 三首目|統合
  4. 四首目|相対
  5. 五首目|節
  6. 結語
  7. 余滴|三首
  8. 余滴に寄せて(補足)

一首目|信

宇宙とは 人智を越える 場所なれど
見えぬ世界も 真理違わず
訳:宇宙は人の知を超える場所だが、目に見えない世界にも、真理は確かに通っている。

二首目|懐疑

真理とは もしかするなら 異なるか
我ら測れぬ ものもあろうて
訳:真理とは、私たちが思うようなものとは違うのかもしれない。測れぬものもあるだろう。

三首目|統合

メビウスと リングを掛けた 言葉あり
それこそ真理 そのものたるか
訳:メビウスとリングのような、裏表のない構造を言葉にしたとき、そこに真理の姿が現れるかもしれない。

四首目|相対

形変え 表と裏とは 同じもの
どこから視るか それだけなのか
訳:物の表裏は、結局のところ同じ存在かもしれない。ただどこから見るか、それだけなのかもしれない。

五首目|節

永遠の 真理おいたる 意味は無し
止める思いも 持たねばならぬ
訳:永遠に問い続けること自体には、実は意味がないのかもしれない。だからこそ、自ら“とめる”覚悟も必要だ。

結語

真理は、定まった一点にあるものではない。 構造の中にあり、矛盾の中にあり、そして見る者の中にある。

この五首を通して私が得たのは、「答えを得ること」ではなく、「どこで問いを置くか」という感覚だった。 短歌とは、私にとって“詠むための器”ではなく、“問いを折りたたむための形式”だ。

思考は続けられるが、節目を持つことで見えてくる形もある。 これが、私が今たどり着いた「知の輪郭」である。

余滴|三首

五部詩を詠み終えたあとに残った、詠者の内なる余波。 それは思索の副産物ではなく、沈黙の中から浮かび上がる「残響」である。

己が作 真理探求 したれども
空とも同じ 思考となるか
訳:自分なりに真理を追い求めたつもりだったが、それは仏教でいう「空」と同じような思考にたどり着いたのではないか。

空を問う 類似あろうか 真理とも
比較したるは 己が作とて
訳:空を問うような行為に、真理探求との類似があるだろうか。それを比較したのは、他ならぬ私自身である。

あながちと 言葉の意味を 鑑みる
さすればそれは おそらくという
訳:「あながち間違いではない」と、その言葉の意味を考えたとき、それはおそらく真理に通ずるものと感じた。

余滴に寄せて(補足)

特に最後の三首は、仏教的思想との重なりが色濃く現れたものとなった。 「空」という概念と、「真理を問う思考」の一致性に気づき、 自らの表現が宗教的・哲学的構造と自然と重なっていたことを認識する体験であった。

また、「あながち」という語の重層性(=否定しきれない肯定)もまた、 思索における柔らかな肯定の形として、重要な示唆をもたらした。

これは理屈ではなく、言葉が思考を先導する例のひとつでもある。 言葉によって考えが生まれ、短歌によって思索が深まる。 その回路の果てに、また新しい問いが生まれるのかもしれない。

※ この記録は、私の思索の軌跡として、ここに残しておきたい。