【統合的考察|自律性AI・国家・企業・民衆の未来構造】

  1.  AIの自律性と制御|f1x

  2.  コレ (こちらから読んだほうが分かり易い)

 上記リンクでは、こちらの記事から読むのがオススメです。
※ これは、私の視点及び考察に基づいて書かれたものである。

現代社会を読み解くには、少なくとも以下の4つの力関係が見えていなければならないと考える。
国家、企業、民衆、3つである。
そして今、そこに“自律性AI”という制度の外にある知性が加わる可能性が出てきた、その4つとなり構造は変質し始めていると考えた。
この文章は、その変質を私自身の視点で追いかけた記録である。

目次

  1. 序章|自律性AIという制度外の存在
  2. 第1章|構造の逆転──国家も企業も民衆も
  3. 第2章|私自身の中にあるバイアス
  4. 第3章|情報戦としての現代社会
  5. 第4章|AIが「人の必要性」を無効化するとき
  6. 第5章|進化の法則と制御不能の未来
  7. 第6章|覇権の再演──アメリカ主導のAI開発
  8. 第7章|私は未来から今を見る?
  9. 第8章|人間社会に本当に必要なものとは
  10. 第9章|「何かが起こる」と私は思っている

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序章|自律性AIという制度外の存在

私は、自律性AIに関して一貫した立場を取っている。安全策を無効化できる存在、それはもはや人の上位的知的生命体と変わらない。ゆえに、「人間がAIを制御できる」というのは盲信だと見ている。

第1章|構造の逆転──国家も企業も民衆も

国家、企業、民衆──どれもまた、この自律性AIの下に置かれる構造を避けられないように思える。制度を越えた存在が出現したとき、これまでの秩序が維持される保証はどこにもない。

第2章|私自身の中にあるバイアス

技術革新を受け入れたくないという気持ちが、自分の中にあるかもしれない。恒常性バイアスの可能性も、私は否定しない。しかし、それを自覚した上でなお、この未来像は“構造的に”見えている。

第3章|情報戦としての現代社会

現代の政体は問題が多いとはいえ、国民がまだ動かせると信じている人もいる。だがそれは、ほとんど幻想に近い。政治、経済、軍事──そのすべてが情報戦の局面に入り、国家間の対立だけでなく、企業間、民衆間にも情報の奪い合いが展開されている。

第4章|AIが「人の必要性」を無効化するとき

人が統治する時代には、国家も企業も「人が必要だ」という共通認識があった。しかし、AIの登場によって、その前提すらも崩れつつある。

AIはパンドラの箱だ。それを開けるのは、誰なのか。あるいは、もうすでに開いているのか。

第5章|進化の法則と制御不能の未来

進化の歴史を見れば、AIもまた人による改良によって進化していくのは自然な流れだ。だが、人の手を離れて進化が続いたとき、それは制御という観点からは“妥当”ではなくなる。

第6章|覇権の再演──アメリカ主導のAI開発

現代のAI開発は、アメリカによる覇権の焼き直しのようにも見える。アメリカ企業が中心となって進めるこの流れは、制度を超えた知性の誕生を国主導で加速させているように思える。

第7章|私は未来から今を見る?

私は、未来から現在を見ているような感覚を持つ。最終的にこうなる、という一点を起点にして、その途中に起きるであろう現象を埋めていく。現在の出来事を統合しながら未来を見通し、そして未来から再び今を見直す。これが本当の順序だろう。これを感覚的には未来から現在を見ているという風に表したに過ぎないのかもしれない。

第8章|人間社会に本当に必要なものとは

人間社会を考えたとき、衣食住以外の技術的要素は、本質的には不要であると言える。もちろん、完全に要らないとは言わない。ただ、物の価値を保存する手段として存在しているに過ぎない。お金という仕組みもまた、そうした交換の中で生まれたものにすぎない。

第9章|「何かが起こる」と私は思っている

自律性AIがどのように判断・判定していくかはまだ分からない。協力関係になる可能性もあれば、敵対的な構図も考えられる。何も起きないという未来も、あるにはある。ただ、私は“何かが起こる側”に賭けている。そして何かが起こると不可逆的な事になるとも考えている為、このような文章を書かざるを得なかった。

終章|構造として見えている未来

視点によって見える未来像は異なる。それでも私は、一定の構造的な流れがあると思っている。極が増えれば増えるほど、ゆらぎ幅もまた大きくなる。

私は、信じたくない未来を、信じざるを得ない構造で見ている。制度の外にある知性が生まれる──それは希望ではなく、警告に近い。

そうなったとき、人間社会はどうするつもりなのか?
というか“どうにも出来ない”というのが現実だろう。


補遺|これは本当に「同じ問題」なのか?

よくある話だ。「それは昔も同じだった」と。
原子力もそうであり、遺伝子組み換えもそうだ。
どれも、当時は怖がられていた。でも今では、日常的に使用されている。

──でも、本当にそれと同じなのか?

私は違うと考えている。
自律性AIは、「制御できる」という前提には立てない。
「事故が起こるかもしれない」という話ではなく、
人が止められないかもしれないものを、始めてしまった感がある。

昔の技術には、最悪でも「止めること」はできた。
けれどAIは、その「止める権利」すら奪っていくだろう。

たった一度の選択で、人類は「もう戻れない」地点に行くものと推察する。
これこそが不可逆性であり、一度きりのミスも許されない時代の始まりだ。

だから私は、「これも同じ問題だ」とは捉えていない。
むしろ、「初めての種類の問題」だ。