本稿は、主観、クオリア、思考、信頼、社会構造、文明といった人間の高次機能が、生命の最も基本的な機能である「差分認識」から段階的に発生した構造であるという仮説を提示するものである。
生命は生存のために環境との差を検出しなければならない。この差分検出機構を起点として、知覚、感覚、記憶、予測、思考、信頼、制度、文明までを一つの連続した構造として説明することを本稿の目的とする。
意識やクオリアの問題において最も根本的な問いは次のものである。
なぜ情報処理が「体験」になるのか。
なぜ物理現象が「感じる」という現象になるのか。
多くの理論は脳や神経回路、情報統合などから意識を説明しようとする。しかしそれらはすでに高度な生物を前提としており、生命そのものの必要条件から出発していない。
そこで本稿では出発点を次のように置く。
主観は、生存に必要な差分認識から発生したのではないか。
生命が生存するためには、最低限次の区別が必要になる。
これらはすべて「差」を見分ける能力である。
単細胞生物は濃度勾配に反応する。
植物は光の方向に成長する。
動物は動きや温度差を感知する。
これらはすべて差分の検出である。
したがって生命の最も基本的な機能は
生命 → 生存 → 差分認識
であると考えられる。
差分認識は知能の結果ではなく、生命の前提条件である。
知覚は物体を認識しているのではなく、差を認識している。
もし世界に差がなければ、何も知覚できない。
完全に均一な世界では、見ることも聞くことも感じることもできない。
つまり
差分 → 知覚
である。
知覚とは物体の認識ではなく、差の認識である。
クオリア(赤さ、痛み、暖かさなど)は、差分信号の強度表現ではないかと考えられる。
生存のためには単純な二値(安全/危険)では不十分である。
このように強度のある連続的な信号が必要になる。
つまりクオリアとは
差分の強度を内部信号として表現したもの
と考えられる。
したがって
差分 → 感覚強度 → クオリア
という構造が考えられる。
クオリアは謎の存在というより、生存のための精密な制御信号である可能性がある。
差分を認識できるようになると、次に必要になるのは予測である。
これは過去の差分と結果の記憶から未来の差分を予測している。
つまり
差分 → 記憶 → 予測 → 行動
となる。
思考とは未来の差分を頭の中でシミュレーションしている状態とも言える。
ここまでをつなげると次の流れになる。
差分認識
→ 知覚
→ 感覚(クオリア)
→ 記憶
→ 予測
→ 思考
→ 行動
→ 生存
この構造から考えると、
思考は感覚の上に成立している
可能性がある。
一般には「考えてから感じる」と思われがちだが、構造的には
感じる → 予測する → 考える
の順序かもしれない。
不気味の谷現象も差分で説明できる。
人間に似ているが少し違う存在を見ると強い違和感を覚える。
これは
この差が大きいと不気味に感じる。
つまり
予測 − 現実 = 差分 → 不快感
である。
不気味の谷は見た目の問題ではなく、予測との差の問題である可能性がある。
信頼も差分で説明できる。
つまり
信頼 = 予測誤差が小さい
嘘 = 予測誤差が大きい
社会とは予測可能性のネットワークとも言える。
さらに拡張すると、
文明は予測誤差を小さくするための仕組みとも言える。
つまり文明とは
差分と不確実性を減らし、予測可能性を高めるシステム
と考えることができる。
ここまでを一つの流れとしてまとめると次のようになる。
生命
→ 生存
→ 差分認識
→ 知覚
→ クオリア
→ 記憶
→ 予測
→ 思考
→ 信頼
→ 社会
→ 制度
→ 文明
このように、人間の高次活動の多くが差分認識から連続的に説明できる可能性がある。
本稿の仮説はまだ次の点を説明できていない。
したがって本稿は完成理論ではなく、
主観・思考・社会構造を一つの原理で説明しようとする構造仮説
である。
主観、クオリア、思考、社会、文明はそれぞれ別のものではなく、
差分認識という生命の基本機能から段階的に発生した構造
である可能性がある。
差分
→ 知覚
→ 感覚
→ 思考
→ 予測
→ 信頼
→ 社会
→ 文明
もしこの構造が正しければ、
主観とは「差分の内部化」である
と言えるかもしれない。