私は、教育とは本来もっと根本的なものだと感じている。
知識を詰め込んだり、テストで点を取らせるだけでは、人は育たない。
人が社会で生き、判断し、責任を取れるようになるためには、
考えるための軸が必要だと思っている。
その軸になるのが、私が以前から話している「三心(倫理・道徳・知性)」になる。
私は、教育の目的を一言で言えば「人格の形成」になると思っている。
こうしたものは、知識ではなく、人のあり方そのものに関わる。
現代の教育は、この部分が抜け落ちているように見える。
三心は、人が判断するときの基盤になる。
しかし、これらは自然に身につくものではなく、意識して育てる必要がある。
自分自身を律する感覚。
他人が見ていなくても正しく判断できる基準。
社会で生きるためのバランス感覚。
他者との関係の中で育つ部分。
状況を理解し、先を読む力。
学歴では測れない、実際の思考力。
私は、この三つが揃えば、人は大きく間違えにくくなると感じている。
現代の教育は、どうしても形式的になりやすい。
これらが中心になると、人は自分で考える力を失う。
私は、これが現代の社会問題の多くにつながっていると思っている。
教育の段階で考える習慣が育っていないから、
社会に出てもそのままになる。
私は、教育の中心は“考える練習”だと思っている。
結論だけではなく、考え方を見る。
目的と手段が一致しているかどうか。
自分以外の立場を理解する。
抽象ではなく、現実を基準に考える。
こうした訓練は、テストの点数よりも価値があると私は思っている。
私は、教師は知識を教えるだけの存在ではないと考えている。
教師の質が教育の質を決めるのは当然で、
ここを軽視する社会は必ず劣化していく。
AIが普及すれば、人はさらに考えなくなる。
便利さの裏で、判断力が弱くなる危険もある。
私は、AI時代こそ、
“人間側の思考” を鍛えておく必要があると感じている。
AIは答えを出せても、責任を取ることはできない。
責任を取るのは、いつでも人間の側だ。
だからこそ、AIを使いながらも、
人間自身が判断できる教育が必要になる。
私は、教育とは人の基盤を作る作業だと思っている。
知識も必要だが、それだけでは不十分だ。
倫理・道徳・知性という、
人として生きるための基盤を育てる教育ができれば、
社会はもっと安定し、人も強くなる。
教育は、そのための最初の場所になる。