私はこれまで、多くの領域について考え続けてきた。
制度、教育、労働、家族、AI、社会構造──どれも個別のように見えて、裏側ではつながっている。
ここでは、他の章に直接書かなかった内容や、
日々の対話や思索の中で形になってきた部分をまとめている。
体系化しすぎず、自然に考えてきた流れをそのまま残しておきたいと思っている。
私は、経済や制度を考えるときでも、
必ず「人」を基準にして判断している。
どんなに制度が整っていても、
そこにいる人が弱ければ社会は崩れる。
私は、社会の問題の多くは制度よりも人間側にあると感じている。
三心(倫理・道徳・知性)という考えは、
私が様々な場面で感じてきた違和感を整理する中で生まれたものだ。
こうした“偏り”を持つ人を多く見てきた。
私は、人間は三つのどれかが欠けると判断が狂いやすいと感じている。
三心は、複雑な理論ではなく、
人が生きるときの「最低限の基盤」のようなものだ。
私は、判断とは「何を優先するか」を決める行為だと思っている。
知識が多いから正しい判断ができるわけではない。
経験があるから判断できるわけでもない。
判断には、その人の価値観や、
何を重く見ているかがそのまま出る。
だから私は、判断力を育てる教育や制度が必要だと考えている。
私は、現代の社会にはゆっくりとした歪みが積み上がっていると感じている。
これらは単体では小さいが、
積み重なれば社会の基盤を揺るがす。
私は、この歪みを放置すれば
いずれ大きな変化として表に出ると思っている。
AIや自動化は確かに便利だが、
人間の判断力を奪う方向にも働く。
技術は補助であって、
人間が中心であるべきだ。
私は、技術の進化よりも
“人間の側の思考の強さ”が重要だと感じている。
私は、自分の思考について明確に言えることがいくつかある。
私は、思考は「積み重なるもの」だと感じている。
急に形になるわけではなく、
日々の対話や観察の中で少しずつ整理されていく。
私は、制度を作ることに特別な興味があったわけではない。
ただ、社会の仕組みを見ていると、
どうしても「ここが欠けている」と思う部分が出てくる。
制度は人を守るためにある。
私は、制度が人に合わせて変わるべきだと考えている。
私は、思想や制度を作るというより、
自分が見てきたことを整理し続けているだけに近い。
ただ、その積み重ねが
結果として一つの体系のようになってきた。
三心思想も、科挙も、知性院も、教育の話も、
すべては“人がどう生きるか”に戻っていく。
この文書は、その裏側にある考えを残しておくためのものになる。