私は、人の判断や行動には共通した基盤があると考えている。
それが倫理・道徳・知性の三つで、私はこれを「三心」と呼んでいる。
三心は単なる概念ではなく、人の生き方や社会の動きに直接影響を与えている。
人間関係の歪み、組織の崩れ、社会制度の劣化などを見てきたが、
その根の多くは、この三つのいずれかが欠けているか、極端に偏っていることで起こっているように思う。
倫理は、自分自身を律するための基準だと考えている。
外から押し付けられるものではなく、自分の中で判断し、自分で責任を取るための感覚に近い。
倫理が弱い人は、自分の都合で判断が揺れ、
倫理が強い人は、一時的な損得よりも「どうあるべきか」を優先する。
私は、倫理が人格の中心にあるべきだと感じている。
道徳は、周囲や社会との関わりの中で育つ感覚だと考えている。
人と共存するための最低限の基準というべきかもしれない。
倫理が“内”にあるとすれば、道徳は“外”との調和を意識するものになる。
この二つは重なる部分も多いが、私は明確に分けて捉えている。
道徳が欠けると、人は自分本位になり、
逆に過剰だと、周囲に合わせすぎて自分を失う。
知性は、状況を理解し、未来を見通し、判断の精度を高めるためのものだと考えている。
学歴や暗記とは別物で、もっと実践的なものに近い。
知性が乏しいと、短絡的になり、先を見ず、その場の感情で動くようになる。
しかし、知性だけが強すぎても、人としての温度が失われていく。
私は、知性は人格の中でバランスを取るための装置のようなものだと理解している。
三心は単体で成り立つものではなく、互いを補い合って働くと考えている。
現実には、三つのうちどれかが足りなくなったり、
逆に強く出すぎて歪むことが多い。
私は、三心の揃った人は安定していて、
周囲に流されにくく、自分の軸を持って生きられると思っている。
現代社会を見ていると、
こうした傾向が広がっているように感じている。
私は、これらは偶然ではなく、三心が弱くなっている結果だと思っている。
制度の問題や政治の停滞も、
根本を辿れば“人間側の三心”の問題に行きつくことが多い。
私は、この三心思想を大げさな理論として扱うつもりはない。
むしろ、当たり前のことを整理しただけに近い。
ただ、この当たり前が失われつつある現代では、
三心を基点にして考え直すことが必要だと感じている。
三心は、制度設計や教育、政治、経済など、
どの領域にもそのまま応用できる基盤になる。
これは、私がこれまで考えてきたあらゆる論考の“中心線”のようなものだ。